過去の
monologue
===>  home     

◆◇◆

2015/12/20

春先からずっと、夕方になると、
目が霞んでものが見えづらくなる症状が続いていた。

視力低下は生活習慣に負う部分が大きい。
職業柄、一日十時間以上、のぱその液晶モニタを眺めているわけで、
ある程度は仕方ない部分もあるのだが、
この辛さはいかんともしがたく、とうとう眼科に行ってきた。

結論から言うと、両目1.5だった。
そんなに見えている感覚はないのだけれど…。

霞み目は6年前に受けたレーシックの副作用らしい。

角膜を丸く薄く切ってぺろっと剥がし、
レーザーで視力を矯正した後、元に戻すというのがレーシックの手術内容。
一度切った場所は元のように滑らかではなく、僅かに凸凹しているため、
瞳孔が開いたとき、その部分が視野に影響を及ぼすのだという。
つまり、昼間は良くても、薄暮時や夜間は視力が落ちる。

三十代のうちは若さでカバーできるけれど、
四十路になると瞳が硬化して、だんだん辛くなっていくそうな。


涙がとろっとなる目薬を処方してもらって、だいぶラクになりました。
適度に目を潤すことで、凸凹を滑らかにする効果があるんだって。



「ただね。近くが見えづらくなるのはR-eyeですよ」



R-eye


もちろんRacingの“R”だ。
↑
(ばか)


目先のことに囚われたりしない。
僕はじぶんの行きたい方向だけを見つめ続ける。
遥か彼方にある頂のみを見定める。

とにもかくにも On Any Rate

Break on through to the other side
It's a R-eye It's a R-Vishon


R-eye


老眼ちゃうで。老眼ゆうな。

◆◇◆

2015/12/12

冬の公園でジョギングしてたら脇道からジャージのオサーンが現れた。
(てゆーか僕自身もジャージのオサーンであるわけだが)

ペースが近しかったので、暫く後ろに付く。

エンカウントは鳴らない。
休日ジョガーはおよそじぶんのペースで走る。
競争する必然も必要もないのだ。


ややあって、オサーンはステップに合わせて放屁を始めた。


ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。


テヤンデエコンチクショーバーロー。
後の人間のことを考えろてんだ。テメー今すぐブッ千切ってやるからな。


だが、その時点で、僕は既に45分以上走っていた。
膝も太腿もパンパンで、意志と裏腹にまったく脚が前に出ない。
このまま無意味なスパートを続けても、
ただ息を荒げ、奴の排出ガスを全力で体内に取り入れるだけの存在に僕はなってしまう。
一方、奴は走り出したばかりのようだ。
実に軽やかにステップを踏んでいる。
放屁しながら。


ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。


冷静になれ。こんなラッシュがいつまでも続くはずはない。
息を止め、ガードを固めて連打を凌ぐんだ。


数えていたから数を正しく憶えている。


27発だ。


ガス地帯を抜けたところを見計らい、僕は止めていた呼吸を再開し大きく酸素を吸い込m…。



ぶびりっ!!



薄れる意識の中で僕はデジャヴュを感じていた。
そう、以前にもこんなことがあった。遠い昔の話だ。

僕の危機回避能力はまるで進歩していない。


◆◇◆

2015/06/28

夏ばて防止のため、
なるべく冷えたものを口にするのを控えている。

毎朝飲むのは、お湯割りのミネラルウォーター。
つまり白湯だ。
ミネラルウォーターの代わりに、烏龍茶やポカリスエットを用いることもある。
温度的には40〜50℃くらい。
空っぽの胃に温かい水分が沁み込んでいく感覚が心地よい。

それで気が付いたんだけれど、
ペットボトルの飲みものてかなり味付けが濃いめなんだよね。
半分くらいに薄めても違和感なく飲めます。
やっすい居酒屋なんかだと、
製氷機の水っぽい氷とペットボトルで烏龍ハイ作るもんなあ。

ポカリスエットも常温以上なら濃度半分でぜんぜん平気。
冷たいと舌の感覚が鈍るからなんだろうけれど、
相当量の糖分が入っているんだと思う。
むしろ温めると、そのまま飲むのが辛い。

はんぶんに薄めて飲むことができたものを、
今までどれだけそのまま消費してきたんだろう。

そう考える度、すっごい損した気分になってる。

なんて、なんてざんねんな小市民の僕。

◆◇◆

2015/06/14

デスクワークに身を投じていると、
時間の流れや季節の変化に疎くなる。

僕が沈んだ気持ちで満員の通勤電車に揺られている間に、
どうやら既に、夏が来ていたらしい。

久しぶりにバイクに乗って、風の匂いでそれを感じた。

幹線道路で信号待ちをしながら、
ふと空を見上げると、
飛行機が白い腹を見せて飛んでいる。


ジャンボジェットの、白く丸い腹。


そこには何かが足りなかった。


何かが確実に損なわれていた。


どうして今まで気づくことができなかったんだろう。
何故誰も、気づくことがないんだろう。


あそこに肉球を描いてしかるべきなんだ。


Don't think so?

◆◇◆

2015/06/08

じぶんのメンタルが悪い流れのときは、
あまりひとと会いたくない。

何をするにも自信がないときがある。

ひとの目を見ることができない。
僕のことを気にかけてくれる誰かが存在することが怖い。
今すぐに、僕の痕跡を、
地球上のあらゆるところからなくしたい。

こーゆう気持ちになったとき、
僕は、それを言葉にして、じぶんの腑抜けぶりを俯瞰する。
誰にも聞こえないように、声を出してみることもある。

だけど、何とかしなきゃと焦るほどに、周りが見えなくなる。


じぶんがダメなやつだと思い込むのが良くないことだとわかってはいるけれど、
それはそれとして、ときにノーマルモードのじぶんより弱っちくなってみることも、だいじだと思う。


あるタイミングで、かちんとシフトが入る。
僕なりに、何かができるという感覚が戻っている。
何でもとまでは言わないまでも。


そろそろと、丁寧にクラッチを繋いで、動き出す。


たまにエンストこいたりするけれど、今はすこし元気です。


BBSのレスもぼちぼち再開します。
サボっててごめんね。

◆◇◆

2015/05/22


「つめたい」


肩越しにちいさな声が聞こえた。


僕が振り返ると、
暗い表情をして、彼女は力なくなくうつむいていた。
視線の先には弁当があった。


冷凍したカレー焼きそば。


恐らくは冷蔵庫の残りもので、
昼ごろには溶けているという目論みだったのであろう。
表面だけがびしゃびしゃで、中ががちがちに凍っていることは、
見た目ですぐにわかった。


「しゃりしゃりするんです」

「しゃりしゃりするのですか」


他に何を言えただろう。
他にどんな言葉を彼女にかけられただろう。
僕にはわからなかった。
できるのは彼女が機械的にその恐るべき物体を消化器官に送り込む行為を、
見て見ぬふりをすることだけだった。



また別の日。



彼女の弁当箱の中には、
とうもろこしが2本並んでいた。

彼女はおもむろにそれを鷲掴みすると迷いなく被りついた。

ざくざく咀嚼する音が僕の席まで聞こえてきた。


なまかよ。


「おいしそうだね」

「おいしいですよ」



いや生食のとうもろこしがあることは知っているよ。旨いよね。
僕もキライじゃないよ。でも。

わりとしあわせそうにしてるから、まあいいか。

◆◇◆

2015/05/10

世の中のほとんどの仕事は、

“できるか、できないか”

ではなく、

“やるかやらないか(もしくは、やらされるか)”

なのではないかと僕は思う。


経験を積み、訓練を重ねれば、
秀でた才能に恵まれなくても、そこそこの仕事はできるようになる。
教えて貰ったことしかやらないんじゃ、
いつまで経っても、
貰ったこと以下のことしかできないけれどね。

誤解を恐れずに言えば、
一流を狙いさえしなければ、誰でもその道のプロになれる。
そんな世の中だと思う。



“できるか、できないか”



ひとがそこまで追い込まれるような仕事は、実はそう多くない。


でも、僕の周りには、そうした仕事を人生の糧として選び、歩んでいるひとが割といて、
そちら側に行けなかった僕は、彼らをとても眩しく感じている。

ふと挫折感に苛まれ、苦しくなることがある。

それは僕だけじゃない筈だと思い直す。


あるもので何とかやっていくさ。
他の選択肢はないんだから。


“やれば、できる(Yes,we can)”


“たぶん。(Maybe)”

◆◇◆

2015/04/05

若い頃より、四十路半ばの現在の方が、
体力はあると思う。

そう言うと僕の友人たちは、皆、一様に不思議な表情をする。

二十代の後半に今の仕事に就いた。
デスクワークだし付き合い酒もあるので、そのうち運動不足で下っ腹が出てきた。
このままではまずいと思い、
休日にジムトレかジョギングをすることにした。

スポーツや体育会系のノリは苦手でも、
ひとりで黙々と身体を動かすのは性に合っていたようで、
習慣になって、ずっと続いている。

もともと運動音痴で人並み以下だったから、
ベースの性能が極めて低い。
週イチ程度のトレーニングじゃ期待できる効果も現状維持がいいとこだ。

それでも今の僕は、
僕史上いちばん体力があるように思う。


最近、そこに負の連鎖が生じ始めていることに気が付いた。


歳のせいか、疲れが抜けないのだ。
体力があるぶん、若い頃よりがんばれちゃうのに、回復に時間がかかる。

動いている間は疲れの自覚がなく、
あるタイミングで、がくんとチカラが入らなくなり、
通常モードに戻るのに約3日はかかる。

週末、体力にものをいわせて全力で遊び、
ウィークデイの前半は死んだ魚みたいになっている。

だめな大人のテンプレートですね。

…どうして毎回、こーゆう落ちになるんだろう。
(それが宿命なのよとあのひとは言った)

◆◇◆

2015/01/31

社会人になって間もないころ、
ビジネスメールの返信に「了解しました」という文言を多用して、
上司にブチ切れられたことがあった。

敬語として正しいのは、
「承知しました」もしくは「承りました」である。

でも、当時は何が上司の気に障ったのかさっぱり見当がつかなくて、
ただ狼狽したことを憶えている。
「テメー何が了解しましただコノヤロー!」的な、
頭ごなしの怒られ方だったんだよね。

叱るとき、理由を相手に考えさせるというのはひとつの方法だけれど、
取り違えられると斜め上の方向に突き進んでしまうことがある。
あのときの僕がそうだった。


“こういうひとなんだ。ときどき無意味に切れるんだ。あぶないな”
“この先、このひとと一緒にやっていくのはしんどいな”


僕は上司をそんなふうに認識し、軽蔑してしまった。
じぶんの言葉遣いの誤りに気づいたのは、だいぶ後の話である。

怒りを表面に出すことにはリスクが伴う。
ひとを叱るという行為には、テクニックが必要だ。
相手にストレスを与えるだけで成長を促さない怒り方は、
ひととして未成熟であることの証だと思う。

たいした理由もなく、ぷんぷん怒ってばかりのひとも世の中にはすごく多いけれどね。


今では僕も、ひとを指導しなければならないことがある。

どうしたらこのこにちゃんと伝わるだろう。
感情任せではいけない。
まじめに考えるところだ。


だが、悩んでいるうちに怒るタイミングを逃して、
大甘の対応になってしまう僕がいる。


理由もなく怒ると言えば、女のk…


ひとこと多く言いかけたことに気づいたおれひととして成長した。

◆◇◆

2015/01/25

今年に入って初めて、まともにバイクに乗った。

さほど長い距離ではなかったけれど、
ふつうに乗れてホッとした。

---

以前、友人に言われたことだが、
どうやら僕は「バイクに乗る以上は、絶対に愉しみたい」という想いが、
いささか強すぎる傾向があるようだ。

気候が良くて、心身ともに体調は万全で、
装備はしっくりと身に馴染んで、
バイクもきちんとメンテされていなければならない。
誰かと一緒に走るなら、お互い必要以上に気を使わず済む、気心の知れたもの同士がいい。
そのどれかが欠けてしまうと、
或いは保証されていない状態だと、途端にモチベーションが下がる。

クラッチを繋いで走り出した瞬間から、
キーを抜いてエンジンが冷えて行く音に耳を澄ますまで、
すべての時間が充実していて欲しい。


“Happy to be here(そこにいるだけで幸せ)”


そんな言い回しがあるけど、
少なくとも僕は、乗ってるだけじゃ幸せになれない。


“Somehow,I feel less happy(なんとなく浮かない気がする)”


ほんとうにハッピーになるためには、
完全に集中して、バイクを操っているというリアルな手ごたえが必要なんだ。
じぶんなりに上手くやれたと感じたときだけ、少しハッピーになれる。

---

不思議なことだけれど、
この日は不意打ち的にライディング・ハイになった。

ただ、エンジンの鼓動にたゆたっていることが、ひたすらに心地よかった。

勝手にじぶんの気持ちを落として、
勝手に愉しみの幅を狭めていたんだな。

春が待ち遠しい。

すぐに行動に移せず、結局、待ちの体制に入るのが僕らしいというか。

◆◇◆

2015/01/24

僕の職場のフロアは、
少なくとも200人以上の人間が仕事をしているのだが、
トイレが大小3つづつしかない。

従って、業務時間はほぼ四六時中、トイレ渋滞が発生する。

待たずに用を足せることは滅多にない。
まだ新しいビルだけど、お粗末な設計ミスだと思う。

---

たまに外出すると、いつも不足していると感じるのがトイレの数だ。
食いもの屋は星の数ほどあるのに、出すとこの数は極端に少ない。

例えば、大型ショッピングモールは個々の店舗はトイレを持たず、大抵は共有している。
それも目につきやすいところにはなかなかいてくれないから捜すのが大変。
パステル色が目に痛い地図を解析して、
ひとごみをかき分け、迷路のような回廊を歩き回り、
やっとのことでトイレ見つけたら行列って、なかなかの絶望感だよね。

高齢化社会が更に進行したら、
そこかしこでお年寄りが失禁している風景が当たり前になる気がする。

トイレが優しくない施設はすべて二流というのが僕の持論です。

---

食べることも出すことも生きるために必要であり、
等しく尊ばれる行為の筈だ。

圧倒的な数と質で勝負する、有料のトイレビルとかあってもいい。
お金を払うに足る清潔で快適なトイレを、いつでも、誰にでも提供するサービス。
未開拓のビジネスシーンだと思うんだけれどな。

まんが喫茶の椅子が便器になっただけみたいな風景が浮かんだじぶんの想像力にがっかりだよ。


◆◇◆

2015/01/10

年明け早々、仕事でトラブルがあって、
毎日遅くまでサービス残業です。

夜も20時を回ると疲れが出て、
だんだんシマ一帯が剣呑な雰囲気になってくる。
場を少しでも和ませるために、
甘いものなど配ってみる。

別段、高級なお菓子ではない。
9個入りのチロルチョコバラエティパックだ。


「好きなのをおひとり2個ずつ、取ってください」

「ありがとう。でもそうすると、Nさんいっこになっちゃうんじゃありません?」


チームメンバーは僕を含めて5人。チョコの数は9個。
確かにそのとおりだ。
しかし、みんながお菓子を受け取り易くするために、ちゃんと策は練っている。


「大丈夫です。じぶん用にもうひとパック買ってあります(ドヤ顔)」


みんな2個ずつ。おれ10個。


好意の先回りが過ぎて、
じぶんをビミョーな立ち位置に追いこんでしまったことに、
ややあって僕は気づく。

もりもり喰ったけど。

◆◇◆

2015/01/01

カーステレオから流れてきた“One I love”に合わせて口づさもうとしたら、
喉が枯れて声が出ない。

あけましておめでとうございます。
雪やこんこん咳こんこん。風邪っぴきの正月です。

ここ数年、初詣に行っていません。
元々、信仰心てのが薄い(というよりほぼない)んですよね。
交通安全祈願の御守りも、
戴きもので邪魔になんなきゃ持ってていいかなくらいの感じ。

だいたい僕が神さまなら、
加齢臭を気にし始めた冴えない四十路オサーンの祈りなぞ完全スルーです。
ええ大人なんだから、じぶんの身はじぶんで護りなさい。
願いがあるなら、じぶんの力で叶えなさい。
そんな感じ。

いろいろだめで、基本チキンで、ときどき無駄にポジティヴ。
おれ、ブレてないなw

今年も宜しくお願いします。

  monologe 2016  <===   ===>  monologe 2014  

etc...のTOPへ

home