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◆◇◆

2019/3/21

ある平和な休日。

お昼ごはんを食べに入ったイタ飯屋にて。

右手にフォーク、左手にナイフ。
だけど、パスタのときだけフォークを右手に持ち換えるのは、
マナー的に正しいのだろうか。

ふと、そんなことを考えてしまい、
戯れに左でフォークを使ってみたら、とても食べづらい。

しようむない葛藤に苛まれる僕を他所に、
ひとつ置いた隣の席で、
おばちゃん二人組がずびずばと割り箸でパスタを啜る。
(親切な店なので割り箸が置いてある)

更には、真昼間からジムビームのお代わりを注文してぎゃははと嗤う。
(ふたりとも薹は立っているがもとはそれなりの美人だったと思われる)

フォークの使い方如きを気にしてもやもやしている、
じぶんの器の小ささを思い知らされた気がした。

男という生きものは、いとも容易く小さなことで勝手に傷つく。

その傷は世の中に数多ある傷ついたこころと同様、
人知れず音もなく深い水底に沈んでいく。

◆◇◆

2019/3/3

デスクワークによる運動不足を多少なり改善するために、
週末はジョギングかジムトレ(或いは両方)をなんとなくノルマとしている。

自転車でジョギングコースがある公園に移動し、
息を切らさないくらいのペースで、一時間くらいかけてゆっくり走る。
距離にして10〜12kmくらい。


「10km。スゴイね!」


そう言ってくれるひともいるのだけれど、ちっともスゴくはない。

現実的に考えてみよう。
その能力で何ができるかと言えば、
チョイノリ(原付)でホームセンターを訪れて、
クイッ○ルワイパーのリペアシートを購入してくることくらいだ。
チョイノリの方がよほど速い。

人間ができることなんて高が知れている。
努力すれば努力しただけ、がんばればがんばっただけ、僕は無力感に苛まれる。
(基本的な思考がネガティブなのだ)

だからこそ、謙虚に生きたいと思う。
ちょっと何かが思いどおりにいかないからと言って、
かんたんに外へ怒りをぶつけたり、
上から目線でひとを蔑んだりする資格なんてじぶんにはない。

たったこれっぽっちの僕なのだから。

チョイノリはスゴい。
そしてチョイノリを生み出したスズキというブランドの偉大さ。
世の中にはスズキへのリスペクトが足りない。

まったく以って足りていない。

こころからそう思う。


◆◇◆

2019/2/28

IT系の仕事をしていてヤだなと思うことの一つが、
日本語をカタカナ英語に置き換えた不自然な言葉遣いです。

証跡をエビデンス。
進捗はプログレス。移行はマイグレーション。
回答をソリューション。
そんな具合に。

その都度、脳内置換が必要で非常に煩わしいので、
ふつうに日本語を使って欲しいと思う。

言葉を不協和音のように用いて印象付けることが狙いなのかもしれないけれど。



「ブレストの前にショート行って来る」



さて、何を言ってるんだろう。このひとは。

ブレスト(会議)はわかる。でも、ショートて?


で。5分経っても帰ってこない。


誰ともなくぼそりと言う。


「ラージだな」

「ラージか」

『Laaaaaaaaaarge!(ラアアアアアアヂ!)』
※注:ハモっている。


そこ印象付けなくていいから。
聡明なる諸兄はお察しでしょう。
おトイレのことです。

「ハモる」は、ハーモニーが語源で、調和という意味です。


◆◇◆

2019/2/24

すっかり更新が滞っていますが、げんきですよ。

げんきですよと記しておいてなんだけれど、
僕の持病は偏頭痛です。
年に数回、耐え難い偏頭痛に襲われる。
後頭部に楔を打ち込まれて、がんがん打ち鳴らされるかのような激痛が、
心臓の脈動に合わせて響き渡る。
ただそこに在ることが辛い。
生きているのが辛い。
冗談抜きで、この痛みがいつまでも続くなら生きていることを放棄したいと、
本気で考えてしまうほどの辛さなんです。

ここまで辛いなんて絶対におかしい。
一体、僕の頭の中で何が起こっているんだろう。
地元に偏頭痛専門の脳外科があると知人から聞き、意を決して訪れたところ、
脳の病気は問診での判断が難しいため、
頭部MRIを撮るようにとの指示を受けました。



「Nさん、4X歳ですよね」

「はい」

「いやあ。キレイな脳味噌だなあ」

「はあ」

「ふつう、Nさんくらいの年齢になると、
脳のあちこちに小さな脳梗塞の痕跡が残っているものなんです。
それがまったくといってよいほどない」

「はあ」

「MRIは血管や神経だけを映すことができます。
ほら、この画像を見てください。太いなあ。血管も神経もとんでもなく太い」

「それはどういうことなのでしょうか」

「少なくとも向こう20年、脳梗塞の心配はないでしょう」


「はあ。…で、結局、(偏頭痛の)原因は何なのですか」

「おそらく肩こりです」


「肩こり」


「これは横からの画像ですが…、Nさんはストレートネックですね。
首の骨はS字で繋がっていて、ばねのようにしなることで重い頭部を支えています。
ところが、俯いた姿勢を長く続けていると骨の繋がりがだんだん真っ直ぐになってくる。
ストレートネックはIT系の仕事をされている方に多いです」


「はあ」


「ともあれうち(脳外科)の管轄ではありませんね」


脳味噌キレイ ≒ 艶テカ皺なし


そういうことか。


最新医学による診断の結果、
もの忘れが激しかったり、
記憶力が足りなかったり、
集中力が続かなかったり、
思慮が浅くてそそっかしくてケアレスミスが多くて、
ひとことで言うと僕のアタマが悪いのは病気や疾患のせいではなく、
天然であることが判明してしまいました。

完調にしてぽんこつ。

しかも当初の問題は全く解決していない。

現実がつらい。

◆◇◆

2018/9/13

夏が去っていく。


猛威を振るった暑さも、全国各地を襲った暴力的なまでの豪雨も、
この地で生活を営む僕らのこころに、
理不尽なまでに不平等な傷痕を残して去っていく。


そんな感傷的なきもちに浸っていると、


「ただいま!いやずいぶん迷惑かけたし、もう帰るつもりでいたんだけど、気が変わっちまってよ。
悪ィけど、も少し世話ンなるわ。はーやれやれどっこいしょ。とくらあ!」


とかいって戻ってきそうな気がして。

でも、本当にあいつ行っちまったんだなということに、
ふとした瞬間、気付く、そんな朝。




◆◇◆

2018/2/5

恐ろしい夢を見た。


携帯電話のカメラでポートレイトを撮ったら、
人物の目が勝手にキラキラと大きくなって、
背景にドリーミーでファンタジーなフィルターがかかってしまい、
何をどうやっても解除する方法がわからない。

この間のOSアップデートが原因だろうか。
まったく以って、ろくでもない機能ばかりつけてくれやがって。

ネットで調べても解決方法を見つけられなかったので、
サポートに電話して対処を伺う。

ふだんはそんなことしないけれど、これは夢だから。

ひとしきりのふゆかいでふまんげなやりとりの後、
唐突に電話口で音楽が流れだした。



So friendly lens zooms into the inner you
and it tells the harsh truth

nothing but

(親愛なるレンズは君の内面を暴露する あるのは無残な現実 それだけ)



振り返ると写真の中だけではなく、
現実世界の人間たちまでがキラキラした大きな目をして、
ドリーミーでファンタジーな世界の中で奇妙な作り笑いを浮かべ、
CG的な動きで僕に近づいてくる。


僕は悲鳴を上げた。


そのタイミングで携帯電話のアラームが鳴って目が覚めた。
携帯電話をこれほど憎々しく思ったことはない。


---


おかしな方向へのスイッチが一度入ってしまうと、
なかなか軌道修正できなくなるのが世の中というやつです。
そんなメタファーが夢に示されていたのかな。

久々の更新ですが、まいどこの調子です。

忘れたころに思いがけずアップデートされますが、
たぶんここまで恐ろしい話ではないので、生温いまなざしで見守ってやってください。


◆◇◆

2017/3/5

病院のトイレで水を流そうと思って、
何も考えずに壁にあったボタンを押したら、何ンにも起きない。

あれ。壊れてる?

よく見たら「呼出」て書いてあるじゃんかさ。
そうだ。ここ病院だったよ。


ばたばたばたばた。


うああ。ひと来た。まだ流してないのに。



「どうかしましたか?」

「すみませんなんでもないです間違えただけです」

「そうですか」


水は流れずにヘンな汗が大量に流れましたよ。


このトイレ、水流すのはボタンじゃなくてレバー式でした。
ウォシュレットと暖かい便座と、
もしものときの呼出しボタンまで付いてるてのに、ここだけローテクノロジー。

なんですかいったい。ぷんぷん。
(逆切れ)

◆◇◆

2017/1/10

苦労して身に着けたことはなんとやらと言いますけれど、
僕の場合、辛いこと哀しいことは割と早めに忘れちゃいたい性質で、
なんとか問題を解決した後「ああよかった」てホッとした気持ちだけが印象に残ってて、
苦労した部分は、すっぽりと記憶から抜け落ちてることが多い。

終わってしまったことは変えられないし、
いつまでも引きずっててもしようがないというか。
忘れたつもりでいて、
忘れたころにふと思い出して苦しくなることも、
そりゃないわけじゃないけれど。

よく言えば根に持つことを潔しとしない性分と言えるし、
悪く言えばひとつの意思を持続するだけのメンタルパワーを持ち合わせていないとも言える。
まあ忘れるという言葉からはネガティブな感じを受けがちですが、
忘れられるのは人間の優れた部分でもあると思うんだよね。

持ち堪えたおれ、がんがった。

経験記憶てやつは身体の奥に残るらしいので、
意識の外で苦労したなりの学びの要素が得られているとよいな。


We are all made as an afterthought
Destinied to believe that we are what we are not

Mattew Sweet 〜 Smog moon


所詮僕らは思いつきで造られていて
じぶんじゃないじぶんを信じていくしかないのさ


じぶんなりのやりかたでね。


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