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◆◇◆

2014/12/26

ヤマハ R1-Z

水冷2サイクル 並列2気筒 249cc
45PS/9500rpm
3.7kgm/8500rpm
乾燥重量 133kg


この子は僕の初めてのオンロードバイクだった。


定説めいた言い方はしたくないけれど、
長いことバイクに乗っていると、一度や二度はやらかしてしまう。
僕のように運動神経に乏しく、
ライディングセンスがなく、
迂闊で愚かで不注意でアタマも悪いと来れば、
やらかすのは時間の問題だった。


乗り始めて1年もしないうちにやらかした。



路地から飛び出してきた四駆に突き刺さったのだ。



衝突のすべての衝撃を、僕は身体のある一部分で受け止めた。







涙も出なかった。


よろよろとバイクを降りてうずくまった僕に、
ドライバーが駆け寄り「大丈夫ですか?」と声をかける。


大丈夫なわけないだろう。


おまえはばかか。
あんなタイミングで出てくるなんて。
いったい何を考えているんだ。


僕は激高した。胸のうちで。


しかし実際は、絞り出すような声でひとこと、
こう応えるのが精いっぱいだった。




「だめ」




当時から語彙に問題があったのである。


何針縫ったか忘れちゃったけれど、
機能的にこれといった障害は残らなかったから、
アレって結構頑丈なんですね。


◆◇◆

2014/12/23

スズキ GSX400Xインパルス

俗にいう東京タワー。

水空油冷DOHC4バルブ並列4気筒 398cc
59馬力/12000rpm
3.8kgm/10500rpm
乾燥重量153kg


今見ると、そうとうにブチ切れたスペックです。

僕が中免取ったときの教習車の中にこの子が居ました。
既に不動車だったので、
引き起こしの練習や乗車姿勢の講習に用いられていたんだけれど。

センタースタンドを立ててマシンに跨り、
ライダーはステップに足を載せて真っすぐ立つ。
そのまま自然に腰を下ろし、
ハンドルに腕を伸ばした姿勢が、
正しいライディングポジションですよってやつ。

みんなやったことがあるよね。
僕もやった。

教官に指示されるがまま、ステップの上にすっくと立つ。

次の瞬間、
インパルスの両ステップはぽっきりと折れて、
僕はしこたま股間を打ち付けた。


言葉も出なかった。


それは僕がバイクという乗りものとの関わりの中で、
初めて流した涙だった。


◆◇◆

2014/12/23

iTunesを更新した。

毎度思うことだけれど、新しいバージョンになる度に、
いちいちGUIを変更してユーザーを惑わせるの止めて欲しいです。

なら更新しなきゃイイジャンて突っ込まれそうだが、
旧いソフトを使い続けると、それはそれで別の問題が発生することが多い。
適当なタイミングで(覚悟を決めて)やらなければ、
後でもっと苦労することになる。

数年前に導入されたOfficeのリボン、あれも僕は好きじゃない。

今まで、当たり前に使えていた機能が、
何処か見えないところに隠されていたり、
或いは廃止されてしまっていたりすることに対するストレス。
他に直すべきとこあるだろうとか思っちゃう。

リボン付きOfficeで育ったユーザーにとって、リボンはとても便利な機能らしい。
上手いことその設計思想を理解できたひとからは、よく練られた優れたGUIだという評価も聞く。

若くて好奇心旺盛なユーザーなら、
起動した瞬間、「おおっ!新しくなった!!」て興奮するんだろうね。
きっと、わくわくしながら、
何がどう変わったのかを捜し、発見して、成長していくんだよ。

要は僕が少しばかり足りないわけだ。

変化が必ずしも良いこととは限らないし、
変わることで成功が約束されているわけでもない。

でも、変化を愉しめなくなったときが老年期の始まりなのかもしれないな。

ちぇ。

◆◇◆

2014/12/08

計画名「定時で帰ろう」が告げられたとき、
チームの誰もがこう思ったんだ。


M.I.(無茶、言うな)


Mission Impossibleを和訳すると、こうなる。

だけど僕はその日、18:30の電車に揺られて家路を進んでいた。

何ていうか限界てのは、
いつも自分自身のうちにあるものなんだな。


◆◇◆

2014/12/06

システム開発の世界に、
『2−4−2−3の法則』というのがある。

プロジェクトを立ち上げるに当たり、
大まかな規模感から人材、コスト、リソース、納期などを、
初め「2」で見積もる。

いざ開発がスタートしてみると、
予測しなかった不具合や見落とされていた要件、
工数の目測も甘かったりなんかして、
「4」にまで膨れ上がる。

でも、コストは限られている。
あっちを削り、こっちを諦め、いろいろやりくりして、
なんとか「2」に戻す。

そうは言っても、外せない機能がやっぱり出てくる。
どうしても必要なものをリストすると、結果的に「3」ぐらいに落ち着く。

足りない「1」をどうやって補うか。

大抵の場合、クライアントとカスタマーが半々で負担する。
お互い50%ずつ泣くわけだ。
それでもシステム開発は成功すると限らない。
むしろ失敗することの方が、圧倒的に多い。

ものづくりが大変なのは当たり前で、苦労はディフォルトです。
そしてこの世界に限って言えば、クライアントも苦労する側なんです。

ヨユーぶっこいていいものが造れるのは、才能に恵まれたひとだけの話。
苦労だけにフォーカスしちゃうと大事なものを見失う。
特に僕のように凡人以下だと、
1.5倍くらいの労力をかけてやっとひとなみなんだ。

定時で帰宅できるように計画するのが当たり前だなんて、どの口が言える?

月50時間のサービス残業ぐらいなんてこと…、
あるな。あるけど。でも敗けないよ。

◆◇◆

2014/11/25

初冬の朝のぴんと張りつめた空気が好きだ。

少し早く家を出て、一つ前の駅で電車を降り、
まだ喧騒が始まる前の街中を往く。
冷気が頬を撫でる。
今年の冬は寒いと聞いた。

デスクワークは季節の変化に疎くなる。
数か月前に異動した新しいビルは空調が効いていて、
外が真夏日でも台風でも、
室内にいる限りはまるで気づくことがない。

仕事に慣れるということは、変化に弱くなるということでもある。
ときにリズムを変え、いつもと違ったことをして気持ちを新しくするのは、
僕の中では大事なことだ。

エレベータを用いず階段で7階まで上がる。
セキュリティカードを翳して開錠の電子音を確認しオフィスに入る。

いつものじぶんの席に座り、
ラップトップを開いて電源ボタンを押下する。
気のせいだろうか。
見慣れた筈の風景が違うように見える。


……………。


いっこ階下だったよ!
シマのレイアウトも雰囲気も似すぎだよ!
もうヘンな汗いっぱいかいたよ!

◆◇◆

2014/11/17

It's such a perfect day
I'm glad I spent it with you.

ルー・リードといえば僕が思い出すのが、
それまでファンを公言していた音楽誌のライターが、
来日中のルーにインタビューしたとき、酷い嫌がらせを受けて、
同僚から爆笑されたというエピソードだ。

音楽性からして相当な偏屈屋であろうことは想像に難くないが、
やっぱり性格悪いんだこのひと、と妙に合点がいったことを覚えている。
(有名人となんて関わり合いになるもんじゃない)

でも、何故そんな話をいつまでも憶えているのだろう。

誰にだって虫の居所が悪いことはある。
ルーだって、そんなふうに記憶されているのは心外だろう。

ひとが何をトリガーにものを記憶するのかなんてわからない。
ひとがどんなかたちでじぶんを記憶しているのかも当然わからない。
ひとの口に蓋をすることはできても、
ひとのこころに蓋をすることはできない。

でも、せめてじぶんの記憶くらい、
憶えるべきことと忘れたいことをコントロールできればいいのにと思う。

Just a perfect day
You made me forget myself
I thought I was someone else
Someone good...

僕が僕であることを忘れられれば、
もう少し生きやすくなるかもしれないのに。

◆◇◆

2014/10/26

じぶんは正しいと考えているひとの行動は、
ときに傲慢になることがある。

周りにそっぽ向かれて、ひとりになって、初めてそのことに気づく。

気付けなかった場合、ねじ曲がる。
ひとりになってしまったことには気づいても、
その理由を理解できなかった場合、やはりねじ曲がる。
割とその、高い確率で。

ひとと上手くやっていくことがいちばん大事だとは思わない。
ひとそれぞれの考え方があって、
それが個性てやつで、
みんなが同じことを同じように感じたり考えたりする世界は、
きっと窮屈で、ひどく生きづらいと思う。


誰もが一枚だけ持っている、ふつうという危ういカード。


うまくやれないやつとうまくやろうとするのはとても辛い。
合わないやつとはどうやったって合わないから。
でも、じぶんとうまくやれるやつが、世の中に少しはいるはずだ。

それを捜すのが人生の仕事なんだと思う。

みつけた相手が友だちとか恋人とか、
そういうかけがえのない存在になっていくんじゃないのかな。


じぶんの正しさに疑問を持つこころの余裕も、割とその、必要だと思う。


「割とその」て、最近の僕のマイブームです。

◆◇◆

2014/10/13

焼き芋の夢を見た。

数人のエンジニアと共に品種改良して作った、
3階建ての建物ほどもある大きな芋だ。

仲間たちは、この巨大な芋で、
如何に中までキレイに火を通して美味しい焼き芋を作るかと言う研究に生涯を費やした。
成功したときには全員年老いて余命幾許もなくなっていた。

僕は彼らと早々に袂を別った。
表面から焼いて、焼けたところから美味しく食べればいい。
それだけの話じゃないか。
そんなふうにちょっとずつ周りのひとたちと分け合いながら芋を食べて、
気が付いたときには年老いて死を待つばかりになっていた。

大局を追い、とうとう自身の幸福を得ることなく死んでいくというメタファーなのか。
目先の利益を追い、何ごとも成し遂げず死んでいくというメタファーなのか。

エンジニアてのは、ユーザーが求めるものを造るんじゃない。
本質的に「自分が造りたいもの」を造るのだという話を何かで読んだ。

その通りだと思う。

人々が求めるものと造りたいものがたまたま一致すれば、
お互いがハッピーになれる。

そうでない場合は、
えーとその。
ちょっとばかり、ざんねんな結果になる。

好きなことだけをやり続けるリスクって、確かにあると思うんだ。

◆◇◆

2014/08/30

僕は電車の椅子には座らない。
寿司詰めの満員電車で目の前の席がぱっと空いても、
どんなに疲れていても、
がらがらに空いていても座らない。

例外は新幹線や特急の対面型の座席であるときくらいかな。
(あれは座らないわけにはいかない)

知らないひとに見下ろされてる感じがするのが、
たぶん、ヤなんだと思う。

以前、Twitterで、
「席空いてるのに座らないとか何考えてるかわからない。鍛えてるつもりかしら?」
なんて、ぷりぷり怒っていた女の子がいた。

まったくひとはさまざまな理由で腹を立てるんだな。

気づいていないだけで、
きっときみも見下ろされてる感を不快に感じているんだと思うよ。
面識も何もない、ただ突っ立ってるだけのやつから。

◆◇◆

2014/08/27

例えば仕事で大きなミスをして、
やヴぁい状況に陥ってしまったとき。


「ピンチだ!どうしよう!!」


そんなふうになってしまったとき。
僕は落ち着いてピンチと言う単語をぱんつに脳内置換する。
大きく深呼吸して、さん、はい。


「ぱんつだ!どうしよう!?」


念のため断わっておくけれど、
この方法を実践したところで事態はまったく何も好転しない。
追い詰められた気持ちに少し逃げ場ができて、
ほっこりするだけです。


もちろんパンティでもよい。


漢はパンティをチャンスに変えることで成長するのだ。


◆◇◆

2014/08/20

過去に何度かKZ1000Mk.IIの入手を検討したことがある。

でも、カワサキの空冷2バルブ、とりわけ角Zは、
僕にとって、友人が大事にしている彼女のような存在だ。

どんなに魅力的に映っても、
背徳感なしに手を出すことはできない。
仮に似たような女の子を見つけて付き合うことができたとしても、
いちいちその友人の顔がチラついて、
その娘の隣にいることに引け目を感じてしまう筈だ。


僕は思うんだけれど、バイク乗りがひとと同じバイクを選ばないのは、
そういう心理が働いているんじゃないかな。


だからさ。


ときどきつまみ喰いさせて貰えれば、それで満足なんです。
(最後にヘンな方向で落ちた)



◆◇◆

2014/08/12

レーシンググローブの掌に穴が開いた。

発見したときは僅か数ミリの小さな穴だったのに、
小1時間ほどサーキットを走っただけで、10円玉を通せるほどに広がってしまった。
掌てずいぶん負荷がかるんだね。
グローブは消耗品であるといえ、摩耗で穴が開いたのは初めての経験。
けして安くない装備なので、財布へのダメージは大きい。

まあ、考えようによっては、
事故や転倒で傷ものにしてしまったわけではないのだ。
道具としての天寿を全うするまで使い続けることができたというのは、
ひとりのライダーとして誇るべきことなのではないだろうか。
そう思って、自分を褒めてあげることにしよう。


ブーツは加水分解で樹脂部分のあちこちに亀裂が入り始めている。

バンクセンサーもそろそろ交換時期だ。

ヘルメットの内側に、
080624とかいうスタンプを捺されたシールが貼ってある。
何の暗号だろうね。


見て見ぬふりができるのは、
日本人の慎ましき美点のひとつです。

◆◇◆

2014/07/20

日本の電車は正確だ。
よくそんなふうに言われますが、都心の通勤電車に限って言えば、
3日に1度は遅れます。

そりゃ利用者数も列車の本数も少ないローカル線を含めれば、
確率的に精度も上がるでしょ。。。

もちろん遅延しても間に合うように早めに家を出るのだけれど、
始めの3分の遅れが、移動中に5分、10分と増えてくると、結構、はらはらする。
如何せん小心者ですから、毎日無駄に神経すり減らしております。

そーゆうときの感じ方てひとそれぞれですよね。

20分前に付くように出発して電車が15分遅れたとき、
損したと凹むタイプ。
速く出て良かったと安堵するタイプ。
ただ怒りを蓄積するタイプに、何も感じないタイプ。
エトセトラエトセトラ。

僕はと言えば、一度は凹みかけて、
「いや、そのために早く出ているんだから、いいんだ。良かったんだ」
やるじゃんおれ。デキるじゃんおれ!
凹む必要ない。そこ喜ぶところ!
気分良くしていいところ!

てな要領で、
一生懸命切り替えようとがんがるタイプです。
めんどくさいですね。

◆◇◆

2014/07/06

ブラコロ(ブラジルvsコロンビア)は面白かった。

W杯で唯一、ハイライトではなく、
最初から最後まで通して観た試合なんだけれど。
たまたま早起きしちゃったんだよねw

ネイマールが怪我で戦線離脱するのはざんねんです。
このひと、身長と体重が僕と殆ど一緒なので、勝手に親近感持ってました。
同じような体格だからこそ、
トップアスリートの身体能力の高さをひしひしと感じてしまうわけです。
何をどうやったら、90分間(あるいは120分間)、
あんなふうに動き回れるようになるんだろう。


話は変わりますが、


ハメス・ロドリゲスがボールを持つ度、


「ハメドリ、キター!」

「3人、抜いたー!!」

「ハメドリ、スゲえええ!!!」


とか脳内で叫んでいたおれ、サイテーです。


意味がわかってしまった貴方も割とサイテーだと思います。



断わっておくけれど、
えろトークが好きなわけではけしてないんだ。



◆◇◆

2014/07/02

なんとなくな経験則の話。

やる前にやれないかもしれないと不安を持つのは、
自然なことだし悪くないと思うんです。

でも、やっているとき、
ふとした弾みでやっぱやれないかもしれないとか思ってしまうと、
本当にやれないことの方が多い。

やれないかもしれないて感覚は雑念でしかなく、
集中力を欠いている状態と言える。
やるときはやれるイメージに集中する。
やってるときはやってる自分に夢中になる。
音を立ててスイッチを入れる。
とことん嵌まり込む。

やれないかもしれないという気持ちはやる前にぜんぶ出し切っておく。
本番じゃなければ、なんぼ無様に失敗したっていい。

やりたいから、やりたいことだから、やるんだ。
そんなふうにやりたい。
やれるように、僕はなりたい。



断わっておくけれど。



えろトークがしたかったわけではないんだ。


◆◇◆

2014/06/28

歳を取るとひとは自分の人生に自信を持つものだ。
友人がTwitterでそんな意味合いの内容をつぶやいていた。

ほんとうにそうだろうか。

たかがつぶやきだから、
真剣にとる必要はないのかもしれないけれど、
まるで疑いの余地のない事実のような語り口であったので、
僕は少しショックを受けた。

自信はない。いつもない。

それは、僕の中では疑念ではなく、確信としてある。

過去と現在は違う。
昨日できたことは、今日できないことかもしれない。
二度とできないことかもしれない。

歳を重ねるだけ、可能性は目減りしていく。
抵抗しても、時間は容赦なく取り分を奪っていく。
一秒毎に失われ、
そして帰っては来ない。

どうして自分自身の人生に自信を持てるだろう。
不安に溺れそうになり、必死に足掻き、かろうじて今日を生きている。
全力でもこれっぽっちの僕がいる。


自信とは、いったい、なんだろう。


僕は自信を持ってみたい。
虚勢でも欺瞞でもなく、
たとえひとから横柄に思われたとしても、
ときどきは、いい気になって生きてみたい。


自信がないことについての絶対的な自信が僕にはある。


そういうことなのか。
(なんかわかっちゃったおれ)

◆◇◆

2014/06/27

郵便物に切手を貼る機会がある度に思い出す。

客先に送るン百通ものDMの切手を、
ぜんぶ舐めて貼ろうとして、
口の中が糊でヌタドロになってしまったOLの話。

病院の待合室で読んだ四コマまんがの落ちだったと記憶している。

僕も切手はつい舐めて貼っちゃうひとだから、
もしこのまんがのエピソードを知らなかったら、
同じことをしていたかもしれない。

切手を貼る度に、
糊で口の中がヌタドロになった自分を想像し、
切手を貼る度に、
そうならずに済んでいることについて、
こころの中でまんがの作者さんに感謝しています。

切手を貼った郵便物を投函するそのときまで。

感謝の気持ちだいじ。

◆◇◆

2014/06/25

子ども向けのテレビ番組で、
戦隊ヒーローものてあるじゃないですか。
あれ、生理的にダメです。

戦隊ものに限った話ではなく、


「みんなで、チカラを合わせて、強大な敵に立ち向かう!」


この手(↑)のやつはどうも好きくない。


ヒーローなら、タイマンでやれや。


相手がなんぼ悪いやつだからって、
叩きのめすのにどんな手を使ってもええわけじゃないねんぜ。
大人数でよってたかってやっつけるのは卑怯だ。
弱いもの虐めの構図と変わらんでしょ。

かつていぢめられっこだった僕は、
そこでトラウマを刺激されちゃうわけです。

ついでに言うと、
ヒーローが雑魚キャラをなぎ倒すようなシーンもちょっとアレです。
圧倒的に強いものが弱いものをいたぶるのは、
やっぱり弱いもの虐めの構図と(以下略

◆◇◆

2014/05/29

昨年、ボクシングを観戦しに行ったとき、
初めて“予備カード”というものの存在を知った。

ボクシングの試合は時間が読めない。
1R僅か3分で終わることもあれば、
判定で結果が出るまで、たっぷり1時間近くかかることもある。
例えば、テレビの生中継があるような大興行で、
前座の試合にKOが続いたりすると、時間調整が必要になってくるわけだ。

そこで、予定より進行が進み過ぎてしまったときは、
セミやメインの前に、
無名選手の試合が挟まれることがある。
リングに上がるのはデビュー戦か、
或いはまだ経験の少ない新人であることが多い。

これが所謂、“予備カード”だ。

試合開始のタイミングがまったく読めないという、
キツいプレッシャーもあるが、大会場で大観衆を前に試合できるのだから、
新人選手にとっては胸躍る舞台に違いない。

しかし逆に、判定続きで時間が圧してしまった場合はどうなるのか。

予備カードはメインイベントが終了した後に行われる。
僕が観に行った日が、正にそのパターンだった。
お互いがデビュー戦同士の4回戦。
超満員の会場から、観客が一斉に退場していく中、寂しく鳴らされるゴング。
まだ技術的に拙いとはいえ、
リングの上では真剣勝負が繰り広げられているのに、
観客の殆どは彼らに一瞥さえくれず去っていく。
新人選手にとっては、トラウマになりかねない舞台だろう。

おまえは見届けてやらなかったのかという突っ込みが来そうですが、
電車なくなっちゃうから、ふつうに帰りましたw

名もなき予備カードファイターに幸あれ。


◆◇◆

2014/04/02

ようやく暖かくなってきましたね。

暖かい日差しとやわらかい春風を受けながら、
外で食べるお弁当は良いものです。

オフィス街のベンチで飯を食っていると、
おそらくは食べものを与えるひとがいるんでしょうね。
ハトや雀が近づいてきます。


きまぐれにごはんを何粒か放ってみました。


すぐ一羽の雀が駆け寄ってきて、あっという間に平らげてしまった。
でも、量的に物足りなかったらしい。
「もっとくれ」アピールを始めました。


そのアピール方法が、至近距離でのホバリング。


ぶいいいいん(羽音)、ち、ち、ち。(鳴き声)


近いわあああ!


雀って、飛びながら空中で制止することができるんですね。
更にもう一羽、空気を察した仲間もやってきて、


ダブルでホバリング。


ぶいいいいん。ぶいいいいん(羽音×2)
ちゅん、ちちち、ちゅん。ちゅ(鳴き声×2)


うざいちゅうねん!!


僕もう野鳥にごはんあげるのやめます。

◆◇◆

2014/02/08

バイクのコンディション保つのってたいへんですよね。
カスタムする余裕なんてないよ。現状維持で手一杯。

何台も持ってるんだから当たり前じゃんて言うひともいるけれど、
その考え方、もっともらしいようでちょっと違う。
手一杯になっちゃうのは、単純に僕の甲斐性が不足しているのが問題なのであってw

だって、乗る人間がひとりなら、
何台あってもタイアやOilといった消耗部品の減り具合は変わらないじゃん。
乗ったぶんだけ、まんべんなく劣化していくわけじゃん。
例えば、毎年1万km走るひとは、
1台でも2台でも、2年でタイア2セットは使うでしょ。

車検と保険と税金は余計にかかるけれど、
車検はユーザーで、メンテは自分でやれば、維持費は節約できるよね。
がんばって安全運転して無事故でいれば、
やがて保険代も安くなる。

車体はローテーションしながら乗ったほうが、
より長く、幅広く楽しめる。

更には、1台しかバイクがなくて、
乗りたいときに乗れないリスクを分散できるメリットを考えれば、
バイク2〜3台持ちは割と堅実な選択肢であると僕は考えます。
それなりに距離を乗るひとならて条件付きで。

これ、セールストークに使えるな。
バイク屋に教えてあげようかな。マージンは1台1%でいいやw

◆◇◆

2014/01/06

あけましておめでとうございます。

–––

子どもに甘いてんで、ドラえもんを敬遠する大人は少なくない。

でも、実際のところ、のびたくんは失敗してばかりだ。
便利な道具を出して貰っても、
ろくでもない使い方して、すっかり調子こいて、ろくでもない結果に終わる。
そんなお話が、とても多い。

その姿はそのまま、現実の人間の姿にも当てはまる。
例えば、僕のまわりのバイク乗りたちの姿に。

道具を本来の使い方で正しく使おうとせず、
良かれと思っていらんことして、しようもないトラブルに遭って、
それでもどこか幸せそうにしている。


そんな、誰の中にもいるのび太くんの存在が、僕は割と好きだ。


道具の使い道を変えてみるというのは、
視点と発想の転換であり、冒険だ。

ここにも、そこにも、のび太くんはいる。

もちろん僕の中にも。

僕の中ののび太くんにも、
呆れるばかりでなく、ときには愛をあげたい。

–––

例によってこんな調子ですが、
今年も宜しくお願いします。


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